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日本とトルコがなぜ今でも良い関係にあるかご存知ですか?? 南紀串本バンザイ🙌 日本国民万歳🙌🇯🇵

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時は1890年9月16日、オスマン帝国海軍のエルツゥールル号が台風による強風にあおられ紀伊半島の樫野崎に岩礁に激突、沈没、600名以上が海へ投げ出された。
 通報を受けた大島村(現在の串本町)の住民達は、総出で救助と生存者の介抱に当たった。その結果69名が救出され、生還することが出来た。
 この遭難は、オスマン帝国内に大きな衝撃を呼んだ。新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時オスマン帝国の人々は遠い異国で有る日本と日本国民に、好印象を抱いたと言われている。
 その後、海難現場の串本町には「エルツゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、5年に一度慰霊式典が開催されている。また、串本町の姉妹都市であるトルコのメルシン市でも、串本町と同じ慰霊碑が建立されている。
 後、オスマン帝国の解体とトルコ共和国の成立で、1924年発行のローザンヌ条約締結、1925年大使館開設により日本政府とトルコ共和国は正式に国交を結んだ。
 1985年イラン・イラク戦争で、在イラン邦人はイランから脱出出来ない状況に陥った。トルコは「エルツウールルの遭難の際に受けた恩義のご恩返しをさせて頂きます。」と、自国民救護のための旅客機を2機に増やした。215名の日本人はこれに分乗し、全員無事に日本に帰国出来た。
 1999年のトルコ大地震の際には日本からトルコへ捜索隊・救助隊の派遣、緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などが行われた。ボスポラス海峡海底地下鉄のトンネルは日本の支援で行われた。
 このように日本とトルコの友好的な関係は今も続いている。

トルコ🇹🇷ヽ(´▽`)/
日本国🇯🇵ヽ(´▽`)/

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